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石見銀山
14世紀初頭に発見された石見銀山(いわみぎんざん)。
2007年、平成19年にユネスコの世界遺産に登録されました。
 
 
20世紀の半ばには完全閉山となりましたが、現在でも『間歩(まぶ)』と呼ばれる坑道の跡が500以上も点在し、往時の繁栄をしのばせています。
「行ってきました 石見銀山」
 
『間歩(まぶ)』に続く道。
今でも住民の方が住んでおられますが、一般車両は乗り入れ禁止です。
レンタサイクルや人力車が利用できます。
行きはなだらかに続く坂道なので電動アシスト付きの自転車でした。
 
 
観光用に整備されている『間歩』の一つ「龍源寺間歩」入り口。
 
 

坑内の様子→ 

江戸時代に掘られたものと説明があります

 
 

戦国時代
「左図右上青塗り部分」の地表近くが主な採掘箇所で石見銀山としての最盛期はこの鉱床のおかげ

江戸時代に入ると
今までの鉱床で品位が低下したことにより左図左側青塗り部分が開発された。

"銀山"ですが・・・
19世紀後半には生産の主力が銅に移行し、休山を経て20世紀の半ばには完全閉山となりました。

 
 
明治時代の精錬所跡
 
 

上写真精錬所跡のアーチ部分内部

2つの穴から精錬された銅が勢い良く・・・
(これは想像です)

 
 
 
全世界の銀生産量1/3・・・だったらしい
  後に、日本最大の銀山となる石見銀山も、発見当初は地表から見える「自然銀」を採取する程度で、鉱山とまでは呼べない状態だったようです。
 

16世紀に入って本格的に開発が行なわれましたが、「銀」を取り出すことができず、掘り出した鉱石のまま取引きしていたため、"銀でにぎわう" ところまでは行きません。

  当時の領主としては利益率の悪い鉱石取引よりも、より取引条件のよい『銀』としての生産を目指し、『灰吹法』という精錬技術を外国から取り入れて日本で初めて銀の精錬に成功します。
  この技術は全国の鉱山に伝えられて日本を一大銀産出国にまで導き、17世紀前半には全世界の銀生産量の1/3を占めたと言われています。
   (石見銀山だけで世界の1/3ではありません・・・・念のために)
 
 
--ところで、その 『灰吹法』 って?--    

金鉱石や銀鉱石から「金」や「銀」を取り出す方法
今回は「銀」のお話なので、銀を取り出す方法について調べました。

 

その1)鉛に銀を溶かす・・・

鉛を溶かしてその中に銀鉱石を入れると銀が鉛に溶け込んで合金になります。

この鉛と銀の合金を「貴鉛」と呼びます。

 

その2)貴鉛を灰の上で溶かす

"るつぼ"の中に灰を敷き詰めて「貴鉛」を置き、
温度をあげて溶かします。

  その3)空気を吹きつけて鉛と銀を分離
  溶けた貴鉛に空気を吹き付けると、
  空気中のの酸素と鉛分が反応して酸化鉛ができます。
 
 

酸化鉛は銀よりも表面張力が小さいので
「るつぼ」に敷き詰めた灰に浸み込んで・・・

灰の上に残るのは純度が上がった「銀」。
この方法を繰り返し、さらに純度をあげていきます。

 
 
-- 余談 --    
  時代劇や落語に出てくる毒薬『石見銀山ネズミ捕り』は石見国笹ヶ谷鉱山(現在の島根県津和野町)で銅とともに採掘された砒石より作られた猛毒の殺鼠剤で、石見銀山で産出されたものではありません。
しかし全国的にネームバリューの高かった石見銀山の名を冠した方が通りがよいという商業的な理由でその名が用いられ、世間的に認知されてしまったようです。
 

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